大変久しぶりですが、黄金のレガシーのストーリーをクリアしたので感想を書こうと思います。
当然ネタバレです。
下書きを書いたのは実装時にクリアした直後だったんだけど、零式の準備をしたりプライベートでも大きな出来事が待っている前だったりしてゆっくり見直しできなかったので、今更ながら整えて投稿。
ちなみに漆黒と暁月も感想を途中まで書いていた下書き記事が放置されていた…ので黄金のレガシーぐらいは書ききりたいと思っていた。
前述のとおり、書いたのは実装後に順当にプレイして1週間程度の時点、まだこの時は7.1のストーリーを見ておらず、また今回の投稿は基本的には7.1については踏まえてないので、それを前提に読んでもらえると助かります。
(ゾラージャとかバクージャジャとか7.1でもまた違った印象あるよね)
だいぶ長くなりましたので、お時間があるときにでもどうぞ。
全体の感想
全体としては、新しい拡張として色々考えてストーリー作っていったんだなあという印象。
個人的に好みか?と聞かれると「そうでもない」という回答になっちゃうけど、面白かったか?と聞かれたら「面白かった」と言えるな~という感じ。
書きかけの漆黒と暁月の感想をみると、やはり10年の集大成という所で好みに当てはまっていたんだなーと思うけど、新しく冒険を始めるという立ち位置の黄金のレガシーにそれを求めるのは違うよね、と思うので、それを踏まえると十分に面白くあったなと思いました。
今ちょっと引っ掛かっているような部分は、これからもしかしたらストーリーとして語られるかもしれないし、もしかしたらやってないサブクエで語られているかもしれないし…。
ということで、全体感としては現状は「ストーリーはすごい好みというわけではないけど、面白さについては十分感じた!」という印象でした。
登場人物について
ウクラマトの成長を中心に書かれている継承の儀、この一連を通してウクラマトが自分の目指す先を決めて、それに向かって人の助けを借りながらも、しっかりと進めるようになった…と言うのが分かりやすいのが良かった。
ウクラマト本人の性格上の特性として、結構早い段階で「自分はトライヨラしか知らなかった、他部族についても知っていかないと」と気が付いたのは相当なアドバンテージだったなーと。さすが黄金の主人公。(だよね?)
コーナ兄さんも途中で気が付いたけど、気が付いた上で自分はどうするか、という目指す先を決めた時にはすでにウクラマトが2,3歩先にいたよなと思いました。
一方で、ゾラージャとバクージャジャは、「他部族を知っていく」というテーマは簡単には持てないだろうなとも思った。この二人はどちらかと言えば、自分を開示して知ってもらうことが成長のキモだったのかなあと…。
幸いバクージャジャはストーリー中でそのあたりを少しクリアできたので成長を感じられたけど、ゾラージャはそこに至るまでの行動を考えると難しい。
この二人はその辺がストーリー上の書き分けなのかな~と思いました。
ゾラージャについて
ゾラージャのことを「こじらせ君」と勝手にあだ名付けてたんだけど、青年期こじらせて抜け出せないタイプなんだろうなという理解だった。(類似例:セフィロス)
特にゾラージャは明確に「父上」という存在が、自分の中で「自分と比較するもの」として存在していて、超えなければいけない、最低でも並ばなくてはいけない、という認識に囚われてしまったんだなあと。
何となくそれって、父と自分を同一かそれに近い存在として自己を整理しているような気がしたんだよね。
もちろん偉大な父の実子としての立場や、周囲の期待を考えると、相当のプレッシャーややり辛さもあると思うんだけど、本来であればそこは「自分と父は違う存在だから、どういう内容・方法で(心情的に)超えていくか」というのを自己対話で見出さないといけないはず。
だけど、ゾラージャはそれを「自分と父は近い存在、だから同じでなくてはいけない、超えなくてはいけない」と整理してしまって、そこから道が怪しくなってきたような気がします。
それを指摘する人がいたけど認識できなかったのか、それとも残念ながら指摘者がいなかったのかは現時点では分からないけど。
(あと本人の性格上、途中でもしかしてヤバイ?と思っても引き返すってこともできなそうだし。)
ただ正直、違う人なんだから同じにはなれないし、超えるという定義も曖昧で自分が決めて目指した先で超えたという実感がある保証もない…みたいなことは程度は違えど誰しも青年期に経験することだと思うんだよな。
それこそウクラマトやコーナは継承の儀を通してこの辺りの解決ができたんだろうなと感じたし、バクージャジャも方向性は違えど脱出の糸口をつかんで進むことができたわけで。
ゾラージャだけはなまじ何でも出来ちゃうから、自分ができないこと、苦手なこと、逆に秀でていることも直視できなくてこじらせたまま、止める人もおらず、自分で止まることもできず突っ走っちゃったんかなーと。
それに父であるグルージャジャだって、弟妹のコーナ・ウクラマトだって、ゾラージャがゾラージャとしてそこにあるだけで構わないという認識が全くないってことはないと思うんだよね。
ただゾラージャには「優秀な父の直系の息子である奇跡の子」のポジションや市民の無邪気な期待の部分しか感じられなかったのかな。
まあ、ウクラマトとゾラージャの仲は現時点でうかがう限りはそんなに良好とはいえないというか、他人の距離ではありそうなので、この辺は今後の展開次第で印象が変わるかもしれない。
ちなみに、クリア後に流れてきた感想をいくつか読んだなかで書かれていた、生まれてこなければよかったと思ってそう、とは私は感じなかったんだけど、自分の意義を自分で決めることができずにいるんだなーと思った。
戦闘で片方の頭のない双頭になったのを見て、ほんと「父上を超える」こと以外に存在意義を見出せなかったんだなーとある種感心してしまった。
だって30年よ?敗北を味わってから30年、まだそこで止まってるんか…って。
色々人生で振り返るような、意義を再設定できるような出来事があっただろうに…と思えたんだよね。
自身の息子に「そのままじゃダメなのか」と問われたときが、本当に最後に見つめ直すチャンスであったと思うけど、それをおそらく理解していたんだろうなという回答をしているのに、戻らずそのまま死んでいくのが逆にゾラージャのもはや矜持でもあった(というか、進んだ結果そうならざるを得なかった)のかなーという印象でした。
(※7.1クリア後の追加印象)
子どものできた経緯というか、テーシャジャの立ち回りがかなり悪いので、そりゃあグルージャに対して頑なにもなるよなとは思った。
それを踏まえての討滅戦前後のやり取りを考えると、グルージャとの関わりについては少しゾラージャの今までの考え方を変えた気はするね。
人生を変えるまでの力はなかったのと、さすがに年齢的にも手遅れだったのかなとも思う。
まあでもあれはテーシャジャがだいぶ悪化させた感ある…。
スフェーンについて
勝手につけたあだ名が「相談女」であったことからも印象がうかがえる。(?)
結局、↑の印象のままに進んでいったので、ポジションとしても「友達(ウクラマト)が仲良い人」から最後まで私の中で変わることができなかった…。
それはそれとして、キャラとしては良くできてるし、良いキャラクターだと思いました。
民のことを大切に思うタイプであるということを、そこそこの時間をかけてプレイヤーを含む乗り込んだメンバーに自然に理解させるような流れであったし、大きな悩みについて葛藤を見せながらも、自分の利己的な都合だと分かりつつも進んでいく過程もよく表されてるな、という感じで良かった。
この子近辺の色々はまだありそうなので、そこが深まると多少印象も変わるかもね、とも思うのでひとまず様子見。
世界観について
各地域に思い出やこうなのかな~と思うことはあるけど、特に印象の強いところだけ書きます。
マムーク周りについて
前半で気になったというか、個人的に印象に残ったものが、マムークの環境だった。
▼例の壺
バクージャジャが例の壺を出してきた時、マジで嫌な顔をしてしまった…。
お前のせいだよエルデンリング!!!!!!!!
エルデンの壺がヤバすぎて同じようなものを想像しちゃったよ!!!!!
(もしかして…基素材となる赤子を壺にいれて死んだ赤子をゴニョゴニョして…それで双頭を疑似的に作ってる…とかそういう…?
まじか…フロムよりマシだと思ってたけど、FF14もやばいじゃん…)
とか思ってたら、生まれることなく死んでいった兄弟たちの墓壺だった。
なんだ~~~~~~普通じゃん~~~~やっぱりFF14だったわ~~~~~~!!!!と、ここでこんな笑顔になるやつおる?ってぐらいの安堵顔をしてしまった。
直前が壺匠とかいう、エルデンの壺師の顔がぼんやりと浮かんでくるのを消しながら進む展開の後だったから、マジで全ストーリーでここが一番情緒が乱された…。
いや本当にでボニ村やばくない?こんなやってることの理屈は理解できても、実感として何一つ理解できないことある??迫害されるのも「そっか…」ってなるわ…。アレキサンダーおじはあんなにアイドルなのに…。
エルデンDLCの壺は本当最悪なので、最悪な気分になりたい人は検索してみてください(?)
▼双頭とその罪の文化
こんな感じで「思ったより普通だった」という印象があったからなのか、なんかこのマムークの人たちが抱えている罪の意識には少し違和感があった。
まあ確かに、双頭が生まれるまでとにかく子ども…というか正確にはその前の卵?を作り続ける、という事態が褒められたことでないのは確かだけど、「生きて生まれてこれなかった」こと自体は罪にはならなくない?と思ったんだよな。
そりゃ、無事に生まれたけど双頭じゃないからオサラバで…とかやってたら罪だろうなとは感じるけど、生まれられなかったことが罪は割と厚かましいこと言ってないか?って思ってしまった。
もちろん、心情的にそういう気持ちになること自体に理解はできるんだけど。
なので、ここでいう罪とは、「そういう状況を作り出すまで双頭という存在だけにすがってしまった」ということになるのかなーと。
それこそ、解決法としてトライヨラに身を寄せた人がいるように、その後他部族とも交流を始めたように、何かしら他にも方法があったのに双頭という存在だけに頼ってしまった、というのが罪といえば罪になるのかなと後から整理した。
バクージャジャ本人については、兄弟の壺をみたり、村の人からの期待に対して重い責任を感じてああいう振る舞いになるのは理解できるのでそこに違和感はなかった。
生まれた地域の環境や、儀式参加の様子を見ていて、悪ぶっているけど常識は正しく理解していて、現実については良くも悪くもちゃんと見えてる感じ。
(本気で自分のことを優れている祝福の子だと信じてたら、もっと根本の行動がヤバいと思うんだよね…。)
実際の自分の素質がどうあれ、秀でた存在でなくてはいけない、そうでなくては課せられた責任が果たせない…という所に悩んでたこと、解決に近づいてよかったね。
強いて言えばヴァリガルマンダを開放したことについて実質的なお咎め無しなのは気になったけど、まあ幸いすぐヒカセン達に倒された結果、実質的な被害ナシということで罪が軽くなったのかな…という認識整理をした。
黄金郷まわり
個人的には、異文化としての魂リサイクルや考え方は、理解できるなと思いました。
新生アレクサンドリアの国と人々自体は、突然現れたトライヨラ人を受け入れてくれたように見えたし、不幸中の幸いか今までとは違う形ではあるけど安定して暮らすことはできたんだな、という感じで受け入れられた。
どちらかというと襲撃を受けて倒れた人たちの方に心が痛む感じ。
FF9をテーマに使っていることは分かるけど、あくまでFF14的なFF9要素の入れ方だから、私は全然別物として捉えました。
有名なフレーズや音楽が出てきてるあたり、興味を持たせる紹介としてのポジションとしての役割は十分果たしてるんじゃないかなーと。
どちらかというとFF9にはかなり思い入れがある方だと思うんだけど、あんまり深入りせずにあーこの設定こうやって使ったんだーって思う程度で楽しめました。
リビング・メモリーについて
▼ウクラマト、クルル、エレンヴィルのやり取りについて
それぞれの親子のやり取りがあって、大なり小なり葛藤があったけど、本人たち3名がそれにきちんと整理・決着がつけられたのが良かったなーと思いました。
これを見守るNPCがグ・ラハだったのも、結果的に良かったかなと。
グ・ラハは親子ではないけど、そのぐらい近しい仲間の思いを背負って一人だけ第一世界に飛んでるわけだし、同様の別れを経験したんだろうなと推測できるので。
ヒカセンはパッと分かりやすいだけでもオルシュファンもイゼルも通ってるしね。
突然芸の仕込み人みたいなこと言いだしたのには笑った。
もちろん、自分がどういう経緯で今いるのか?や本当の両親や預けられた事情はどういうものだったのか?という葛藤や疑問は見えたけど、「自分が原初世界人ではなく第○世界人である(厳密には後からそんな単純でもないとわかったけど)」ということに起因するこじらせは見えなかったので、ちゃんと自分を自分として受け入れた後の人なんだなーと。
奇しくもゾラージャとの邂逅の機会とも近かったからすごいその差を感じた。
最初の、第○世界人だった、っていう事態について受け入れている所から、あんまり心配はしていなかったけど、その通りにまっすぐ進める素敵な女性としてまた一歩踏み出してとっても良きです。
▼永久人について
スフェーンはそれを今を生きている人と同じように捉えていたけど、他のNPCメンバーからは永久人を人と捉えているのか、モノと捉えているのかは判別がつきづらかった。
全体を見ていて「人のように思える存在」ぐらいの認識で進んでいそうだな、とストーリー見終わってから思った。
生きていると、当然過去の経験からの行動はでるけど、それだけじゃなくて更にその先があるよなっていう風に私は考える。
例えば前述のエレンヴィルを例にとると、過去の記憶からだけの行動だったら、グリーナーをやめるという行動には至らないんじゃないかなと。
エレンヴィルが生きてるから、思いを継いで、未練を断ち切って、新しい行動に出れる。
仮に人であればそこに生きている人の意見を聞いてみたいし、協力して別の解決法を探してスフェーンに別の道を提示できるかもしれないし、それでも分かりあうのが難しいなら自分の選ぶ道はやはりシャットダウンだと選択できる。
仮に人でないなら、シャットダウンした時に、アレキサンドリア民はこの人たちの記憶を所持してないから、ヨカフイ族の考え方をもってしても、9割以上ただ消えるだけの真に死んだ状態になってしまう。それなら、全ては無理でも自分が話を聞いて、こういう人たちがいたって覚えて進むことが弔いだろうなと。
しかも早々に生きている人ではないな、と思ったから、エリアを惜しんでスクショをとったのも1エリア目だけで、ウクラマトたちの未練に決着がついた後は、罪悪感もなくサクサクとシャットダウンをしたのであった…。
というか、私がシャットダウンする気マンマンだったから、ヒカセン以外の全員がシャットダウンするんかーいってなった。
(でも黄金はストーリー的にはヒカセンは脇役なはずだから、このほうが理にかなってるよね)
リビング・メモリーの立ち位置について
リビング・メモリーって結局何だったの?と思った時に、ウクラマト達と永久人のやり取りを見て、元々これは「生者が心の整理を付けて次に進むための仕組み」だったんじゃないかと思いました。
そのための手段の一つに、生前の再現体を一緒に話しをして未練を解決したり、あそこで平和に生きている、という認識ができる環境が必要だったんじゃないかなーって。
そうなると、もうリビング・メモリーの正しい存在意義はないよね、って思ってしまって。
なので、たまたま同行して心の整理をつけるチャンスをもらったウクラマト達のことが解決できたら、本来のこの場を必要とする人がいないから、終わらせる方がいいだろうなーと。
少なくとも、生者が必要としておらず、再現体もそれについて特に意見も行動もないのに、他の生者エネルギーで維持するほどの理由が見つからなかったです。
少なくとも、元々の用途から変わってしまった結果、ある種不幸なエリアになっちゃったのんじゃないかなと思いました。
ストーリー上ではだいぶキナくさくなってるので、その後の展開に期待。
今回の光の戦士の立ち位置について
基本的には主役はウクラマトで、それについては理解もできるし、納得もできる。
ストーリー上に置いて、このポジションである方が光の戦士として培ってきた経験やこれまでの生きざまを考えると、妥当だなーと思いました。
友達・知り合いが困っているから手を貸しているのであって、前のように自分が仲間と一緒に何とかしなければ、という発想にはならなかった。
(古代人問題に関連するし、他世界についてもエメトセルクに託されたような印象があったので、一応後半は自分事かなと少し思えた)
なので、ストーリー上はこれで良い!と思う自分と、単純にプレイヤー目線でもうちょっと自分事として動きたいなという自分との間で、ちょっと差が出来ちゃったな~という感じでした。
友達によかったねーって言うような感覚のエンディングを意図せず2回も見ることになって、今までの拡張の中で一番無の顔してしまった最後になりました😂
吉田すまんな!でも何も操作してない時に90001エラーで落とされるの何なの????
まとめ
今後またストーリーが繋がっていく中で、いろんなことが新たに判明したりしていけば印象も変わることもあるだろうし、そういう事も含めて今後が楽しみな拡張で良かったです!